山口たいめいの主な実績
- 治安対策として7 年連続警察官の大幅増員日本一。空き交番の解消。
- 圏央道坂戸インター・川島インターの開通。
- 坂戸スマートインターチェンジ設置予定
- 東武東上線座席定員制TJライナーの運行開始
- 沿線区域治水対策事業の推進。(坂戸、東松山、比企郡)
- 消防防災事業の推進・多機能型消防車両の導入
- エネルギー安全保障の強化と資源確保の推進
たいめいはこんな人
山口 泰明 (やまぐちたいめい)
| 生年月日 | 昭和23年11月10日(さそり座) |
|---|---|
| 趣味 | ゴルフ カラオケ |
| 好きな食べ物 | 麺類 |
| 血液型 | A型 |
| 座右の銘 | 温故知新 |
| 家族 | 母 妻 息子 |
政治への志…
日大二高の興水校長(当時)先生から学んだ 「上見て進み、下見て暮らせ」という言葉は 私の原点です。
学生時代に川越市長選、衆参議員選、埼玉県知事選 など、国や地方の選挙に関わったことが、政治家を志す きっかけとなりました。
生い立ち・家系
3歳、自宅縁側にて
昭和23年(1948年)11月10日埼玉県は川島町に生まれました。
祖父圭一郎(山口家22代目)は、旧中山村最後の村長を務め、父泰正は川島町助役を経て、川島町長を3期務めました。当時としては先進的な老人向けデイケアサービスセンターを国に先駆けて設置するなど、行政のアイデアマンでもありました。また「教育は人材育成の要」として、第2中学校の新設など、教育行政にも力をいれ、“心豊かなまちづくり”に取り組みました。
母福美子の実弟は、武州ガス㈱会長、原 宏です。また、母方の祖父原次郎の親戚には、埼玉医大理事長の丸木清浩がいます。
川島町はのどかな田園風景が広がる町で、まさにのびのびと育ちました。 川島町立中山小学校、川越市立初雁中学校、日本大学第二高等学校に進み、日本大学法学部政治経済学科を卒業しました。
高校時代・おっちょこちょいな話
高校時代は、「生物部」で実験に明け暮れました。高校二年の夏合宿での出来事です。
あまりの暑さで、実験室に置いてあったビーカーの水?がなんだかたまらなく美味しそうに見え、それを一気に飲み干してしまいました。ところがそれはなんと、「エーテル」だったのです。その日から、おなかが大変なことになりました。
高校2年生の時、クラスの応援団長に
苦労は財産のうち
日本大学卒業後、叔父の勧めもあり、北海道の旭川ガス㈱に、6年間お世話になりました。叔父の時代の言葉では“丁稚奉公”というのでしょうか、他人の飯を頂きながら、いわゆる人間修行をさせていただきました。見ず知らずの北海道、冬は厳寒の地です。そんな厳しい自然環境の中で、泥まみれになりながら配管工事を行ったことや、営業、集金、検針の他、ガス製造工場での3交替勤務など“現場”で身につけた仕事への姿勢や様々な苦労は、今となって大きな財産です。
まさに、若いころの苦労は買ってでもしろということでしょうか。
人生順風満帆ばかりでない
次男の中学入学の記念に
旭川での6年間のうち、2年4ヶ月は、結婚し妻と二人で過ごしました。街中を二人で 食べ歩き、飲み歩きしました。思い出深い旭川から帰り、昭和54年に坂戸ガス㈱に入社しました。子供二人に恵まれました。ところが、長男が小学校4年生のとき、発病し、一年後に急死しました。親として子に先立たれるという、例えようのないつらい悲しい出来事でした。長男は、入院中にも関わらず、好きな書道を硬筆展に出展し、見事入選。退院したら鼓笛隊の指揮者になりたいなど、夢多き頑張り屋さんでした。妻は「あれもやりたい、これもやりたいという幼い夢を叶えてあげられず、親としてあまりにも不憫です。」「主人には、人生は一度きり。子供と同じ思いはさせたくない、という思いでやりたいことをやらせてあげようと心に決めました。夢を実現しようとする夫の姿に、在りし日の子供の姿を重ね合わせて見ていきたいと思います。」と言ってくれています。
息子の死は我が家にとって、命の尊さ、思いやりの心、やさしさを深く心に刻みつけ、家族の絆を強める大きな体験となりました。


